オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

昔の女と会う男――自分のアイデンティのために相手を利用する、無意識の打算

「昔の恋人を男は名前を付けて保存、女は上書きして保存」という説を支持しているオランウータン日誌です、こんにちは。


というのも、むかし付き合っていた女と会い続ける男が世の中には一定数いるように感じるから。


その男がモテないから、むかし付き合っていたことがある女にすがるしかない、というわけではなく、いま現在、その男には恋人であったり、妻だったりがいる場合もある。


人品卑しいゲス野郎だ、というわけでもなく、社会的にもまっとうな生活を送っているし、友だちとして付き合うにも気持ちのいい男であることも少なくなさそう。


その男が、昔の女に会って何をするかというと、別に何もしない。ただご飯を食べるだけ。ピクニックするだけ。


だから、なーんも責められる筋合いはない! 彼は純粋ないいやつで、過去や性別にとらわれない友だち関係を築いているだけなんだ!


っていう主張も通そうと思えば通せるのだろうけれども、なんだかモヤモヤが胸に残るので、もう少し考えてみたい。

昔の女に会いたい男の心理


仕事で失敗した、今の恋人とギクシャクしてる、なんだか寂しい……。そんな、何かがうまくいっていないとき、人は自分の存在価値が分からなくなる。そうして、そんな時に、心が通う相手と会うことは、大きな救いになる。


心が通う相手として、昔付き合っていた女が真っ先に浮かぶのは、分からなくもない。


付き合っていた以上、その女は、自分の何かを認めてくれていた相手だ。


恋愛関係は、ほかの人間関係よりも濃密で深いものなので、彼女が認めていてくれた自分の美点は、社会的地位とか見た目とか、そんな上っ面のものではなくって、自分の精神の根幹をなす部分のものだ。二村ヒトシは、恋愛を互いの「心の穴」を埋めあう関係だと定義している。


そんなふうに、自分の「心の穴」を埋めてくれるほど心の通い合った相手がいるのは、かけがえのないことだ。恋愛関係が終わったからといって、何もかもが終わるわけではないのだ。


昔の女に会うのは絶対悪だ、とは、だから僕は思わない。

何の気兼ねもなく昔の恋人に会える状況


ゴマブッ子のブログを読んでいると、昔の男からの連絡は「俺通信」(=寂しい時、ム・ラムラした時、暇な時などにメルマガのように送られてくるメール)なんて、元も子もないぶった切られ方をしている。


だけどこれは、ゴマブッ子が結婚を目指す女を想定読者といしているので、結婚につながらない男女関係をはねのけるための露悪的な定義だろう。


相手の「心の穴」を埋めるのは、埋める側にとっても充足感のある、相互的なものなのだから、昔の恋人に会うことは、必ずしも女にとって悪ではないんじゃないか。


そうはいっても、体の関係は持ってないからいいんだもん! なんてグレーな言い訳をせずにすむような、何の気兼ねなく昔の恋人に会えるような状況は限られているように思う。


僕は、2つの条件があるように思う。

恋人や配偶者がいない、もしくは新たな相手が超寛容


前提として、自分が昔の恋人と会っていることを知って、悲しむ相手がいない、ということは必須の条件だ。


恋人や妻がいなければ、自分のアイデンティティを、自分の美点を知っている相手に埋めてもらっても、何の問題もないだろうけど、もし新たな相手がいるのに昔の恋人に会っているとしたら、それは新たな相手への裏切りになりうる。


女にとっても、男にとっても、自分では恋人の心を満たすことができないと感じたり、自分以外の異性が恋人の心に住み着いていることを知ったら、今現在の社会通念上は、なかなか許容しがたいのではないのだろうか。恋愛や結婚に、多くの人は他人の介入を許さない精神的なつながりを求めているのだから。

昔の恋人が自分への恋愛感情を引きずっていない


互いの心の根幹を認め合うような、そんな関係を築ける相手がいたとしたら、それはかけがえがなくって、だから、たとえ恋愛関係が終わったからといって、すべてが終わるわけではない――、とはいえ、もしその女が男への恋愛感情を引きずっているのに会い続けるの出れば、それは相互的な関係ではない。


女の好意につけこんで、その好意を感じることによって、自分のアイデンティティを補完できるので、インチキな自己肯定ができる。再び付き合う気もないのに、相手の好意をもらい続けるためだけに会うことは、相手の感情の搾取だ。


この二つの条件をクリアして、それでもなおかつ昔の恋人に会いたい、というような場合なんてかなり限定的で、実際には、昔の恋人に会おうとする男の大半は、それこそムラムラしているか、よっぽど現在の状況に打ちひしがれているかのどちらかなんじゃないか。――自分のことをたなに上げるつもりはなくって、これまでの自分の経験からも、そんなふうに思う。


以上、オランウータン日誌がお届けしました。


すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

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