オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

子どものあるがままを受けとめ育んでいく――「おおかみこどもの雨と雪」レビュー

友だちが、月齢9か月の息子をつれてうちに遊びにきて、その赤ちゃんがかわいくってかわいくって、いとしいわが子の誕生が楽しみで仕方ないオランウータン日誌です、こんにちは。ちなみにわが家に子どもの予定はありません、あしからず。


赤ん坊をいじくりまわしたい欲が高まったタイミングで、たまたまDVDで「おおかみこどもの雨と雪」を見て、感動しきりでした。




かなりのうろ覚えだけど、備忘を兼ねてレビュー。

あらすじ


大学生の花が恋に落ちた相手は、おおかみ男だった。二人の間には、「雪」と「雨」という二人の子どもが生まれるが、ほどなくして父のおおかみ男は不慮の事故により死んでしまう。父の亡き後も、花に見守られながら、雨と雪は健やかに育っていく。だが二人は、成長していくにつれて、人間とおおかみの間でゆれうごき、悩むようになっていく。

子どものあるがままを見守る


花とおおかみ男は、子どもが生まれたときに、この子たちの望むように成長できるように見守っていこう、という意味合いのことを話し合う。その言葉通りに、おおかみ男が死んだ後も、時に四本足で駆け回ったり、遠吠えをしあったりして遊ぶ子どもたちの姿を受けとめ、見守りながら育てていく。


もちろん、人間社会で生活していく以上、子どもたちが野性をむき出しにしてふるまうのを見過ごすわけにはいかなくて、花には葛藤もある。


花の葛藤は、子どもがおおかみ子どもだからこその悩みだ……、とは言いきれない。人間の子供だって、「好きこそものの上手なれ」なんて言葉があるように、子どもなりに好きなことをして、楽しい!と思える体験を積み重ねることによって、子どもは自信をつけて、自分の力を伸ばしていくことができる。子ども一人ひとりに個性があるから、当然、子どもの好き!が親の望むそれと合致するとは限らない。「親の思い・しつけ」と「子どもの思いの尊重」との間で悩むのは、きっと現代の子育てに通じる悩みなんじゃないか。


姉弟げんかで子どもたちが部屋を荒らしまわるのを、叱らずにみすごしてしまったり、雪山で子どもから目を離して命にかかわる危機に陥ったりと、花は親として迷走しているように見える。


だが、子どもたちの自然な姿を否定して、おとなしい人間のいい子として押さえつけるように育てていたら、雪と雨は健やかに成長していけたのだろうか。自分たちの自然な姿が尊重されていたために、雪は周囲との違いに物怖じすることなく自分の考えを声に出していけたのだし、雨は雪山で川魚を獲って自信をつけていくことができたのだ。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」


親として、子どもに必要なや教育をしているのかと思われるようなところのある花だが、子どもが本当に求めていることには応えて彼らの成長をささえている。


子どもたちが悩んでいるとき、花は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と声をかけながら、子どもを抱きしめ、背中を撫でさすりする。


この「だいじょうぶ、だいじょうぶ」によって、雪も雨も自分は自分らしくあってだいじょうぶ、という自己肯定感を持って、彼らなりの道に踏み出していくことができたんじゃないか。


個人的に、子ども時代に必要なことは、自分はじぶんらしくいていいんだ、という「だいじょうぶ感」を育てることだと思っていて、その「だいじょうぶ感」という心の基礎があれば、たいていの状況をくぐりぬけられるんじゃないかと思ってる。


子どものだいじょうぶ感を育てる、という観点に立ってみると、花の子育ては、子どもが自分らしく育っていくために必要なことをしてあげられている。悩みながらも、懸命に子どもたちの個性を大切にしながら育てようとする花の姿に、現代の母親像を垣間見た気がする。

つい自分の子どもには過干渉になりがちですが、「子どもが何を望んでいるかをよく観察して、必要な時にだけ手を貸す」というプロの視点や技術も、子育てに取り入れてみてください。そうすると子育てはもっと楽に、豊かになるはずです。(汐見稔幸)*1



余談


別に本筋と関係ないんだけど、はじめの方で花とおおかみ男が買い物したり、子どもたちと一緒に散歩したりしているシーンあって、それがBGMと相まって、幸せそうでしあわせそうで……、新婚の僕には、僕と妻のこれからを見ているようで、なんてことないシーンなんだけど、感極まってこっそり涙をぬぐったね。


調べてみたら、音楽は高木正勝でした。サントラほしいな。




以上、オランウータン日誌がお届けしました。

*1:「edu」5/6月号