オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

藤森平司『0・1・2歳の「保育」』

藤森平司『0・1・2歳の「保育」』を読む。



小さいひとたちがいる施設で働く者として、赤ちゃんには母親が一番!というような善意の主張を耳にするたびにモヤモヤする。

母親が特別であることは多いし、健全な母子関係が重要であることは確かだが、それと「母親が一番」、「母親でなければダメ」は異なる。

赤ちゃんは、自ら育つ力を持っていて、育ちを実現するのに最適な相手(=一緒に遊んで楽しい相手!)を選ぶ力も持っている。そしてそれは、母親だけでなく、同じくらいの赤ちゃんであったり、少し年上の子どもだったりすることも多い。

藤森は、だから赤ちゃんがもとから持っている社会性を伸ばすためには見守るのが大切だと主張する。コロナ禍において、この観点はますます大切になってくるだろう。僕の家庭は妻が育休中なのだけど、コロナの影響で、保育園に通わない子どもたちがあつまる、子育てひろば事業はかなり縮小していて、だから、息子が近しい年齢の赤ちゃんとふれあう機会はほぼない。保育園は、子ども同士の関わりがうまれる場としての役割がますます期待されるようになるだろう。

子どもは生まれながらにして人と関わる力を持っているということは、本書を読むととても納得感がある一方で、やはり、特定の大人との情緒的なつながりの大切さは軽視してはならないだろう。養護と教育が一体となって行われる営みが保育であり、心身の安定を保証されたうえでこそ、赤ちゃんは人と関わる力を持てる、ということは承知のうえでなお、藤森は特定の大人との関わりのみを重視する世相に警鐘を鳴らしているのだろう。

赤ちゃんが、ある程度までは数を認識しているということ、音楽表現が言語表現につながっていくという説など、興味深い内容が満載の本だった。保育を考えることは、ヒトという種を考えることとつながっていることが実感されて、知的な興奮を覚える良書。