オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

言葉ってやっぱり世界を変える

言葉ってやっぱり世界を変えるなぁ、と実感させられた子どもとのエピソードについて書く。


気持ちのいい天気だったので園外に散歩に出かけてみると、近所で飼われている白い大きな犬がすっかり気を緩めて昼寝している。T君は部屋で遊んでいるときよく犬や猫の本を眺めているし、動物が大好きだということをお母さまからも聞いていた。


「T君、大きい犬がいる、見てごらんよ」


と、T君の手を引こうとすると、それまでその場所から動かずに立っていたT君がふいに、


「こわい!」


と口にした。


はじめ、誰が「こわい!」と言ったのか分からなかった。ついで、どう考えてもT君の言葉であると気づいて喜びがあふれた。


T君は、1歳児クラスの中では月齢が高いほうで体も大きいのだけど、それまで、保育園だけでなく家庭でも言葉が出てきていなかった。そのことをお母さまはずっと心配なさっていたのだった。


T君が発したのは「こわい」というただ一言だけだったんだけど、そんな事情があったから、大げさに言うのではなくて、ほんとに、私は涙が出るほど嬉しかった。(いや、もちろん仕事中だから泣かないけど)


気持ちに寄り添い代弁する


1歳児の段階では発達の個人差がとても大きいので、T君の言葉が遅いことを私たちは特に心配していたわけではなかったが、集団で生活してみると、T君の行動はちょっとすごかった。他の子どもを押す、のしかかる、たたく、噛みつく、ひっかく、などなど、1歳児がやりうるありとあらゆる乱暴狼藉を働くのだった。


とはいえ、それも新しい環境を不安に感じている1歳児のすることだ。もちろん人を傷つけるようなことをしたらいけないと伝えるのだが、保育者はそれでもT君の気持ちに寄り添うということを意識していた。


とくべつ言葉が出ないことを心配していなかったとはいえ、当然のことながらT君との関わり方の方針は職員間で話し合っていて、Tくんが日々の生活の中で何かを感じているだろうときには、保育者が彼の気持ちを推し量って「たのしいね」とか「いやだったね」などと代弁するように決めていたのである。だから、T君が乱暴なことをしたときも、単に一方的に叱るのではなく、たとえば「いまT君がこの本を読んでるんだよね、取られると思って嫌だったんだね」というような言葉で彼の気持ちを整理するように努めていた。


一般に、子どもがある言葉を話し始めるまでに、その言葉を理解してから約6か月の期間を要すると言われている。言い換えるならば、子どもにまだ言葉が出ないうちから、大人の言葉かけによって、ぼんやりと感じていることを言葉として意識化して理解しない限り、その子どもが適切な発話をすることはないのだ。まだしゃべり始めてもいない子どもに話しかけても分かるはずはない、と早合点して子どもと会話をしないのは間違っていると断言していい。子どもは、自分の思いを言葉にすることが出来ないだけで、たくさんのことを感じている。だが、子どもが「感じていること」を「言葉」にできるのは、子どもの側にいて、その気持ちに寄り添っている大人だけなのである


T君がこれまで感じてきたたくさんのことや私たちとのやりとりの上に、「こわい!」という言葉が出てきたのだと思うと、胸が熱くなる思いがしたのだった。


言葉は世界のあり方を変える


「こわい!」の一言が出た後から、T君はとつとつと話をするようになった。それと平行するかのように乱暴狼藉は収まってきて、今では穏やかに園での生活を楽しんでいる。今までは混乱して力で訴えるしかなかった場面で、ただ一言「いや!」と叫べるようになるという、一見すると小さな変化によって、Tくんにとっての世界は激変したかのように見える以前のエントリでも触れたように、言葉は自分の生きる世界を整理し、世界のなかでの自分とは何かを理解し、よりよい自分であろうとする力を与えるものであると改めて考えさせられた。子どもがたくさんのことを感じられる機会を保障すること、子どもの心に寄り添って子どもが感じていることを言葉にすること、そうした日々の積み重ねが、子どもが世界に向かって働きかける力になっていく。