オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

大学時代の先生と飲みに行く――すぐに役立たないかもしれないことをまじめに考える楽しさ

今でこそ保育士をしているけど、大学時代は日本文学を専攻していた、実は文学青年のオランウータン日誌です、こんにちは。


先ごろの連休に、中国地方で高校の国語教師をしている友だちが上京してきたのに合わせて、大学時代の先生と、三人で飲みに行ってきた。


思い出話に花を咲かせる……というわけでもなく、大学時代にはしなかったようないろいろな話をして、すごく刺激的で楽しい時間を過ごさせてもらった。


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(居酒屋では写真を撮らなかったので、スピーチしてもらった式場の写真)

先生とわたし


先生は僕の卒業論文の指導教官だった。


先生は、日本近代文学が専門で、漱石や鴎外をはじめとした近代文学を多様な視点であざやかに分析する一方で、無類のアニメ好きで、エヴァンゲリオンガンダムも授業でとりあげていて、大学教員然としたしかめつらしさのない、若々しい魅力があった。(ただし、当時から髪の毛はかなり寂しかった)


僕は優秀な学生ではなかったが、先生には講義に関する質問なのか雑談なのか分からないような話をしにいっていた。先生の授業で扱う文学作品の主人公が、みんなウジウジしていてダメダメで、まるでヘタレの文学史を学んでいる気分だ、なんていう与太話にもにこにこしながら耳を傾けてくださっていた。


卒業後も年賀状のやりとりはしていて、昨年、僕が結婚式をするにあたっては、スピーチをお願いして出席してもらった。*1スピーチでは、僕の学んでいたことを分かりやすく、嘘にならないギリギリの範囲で美化して紹介してくださったり、人生において文学を学ぶ意義を話してくださったりと、心温まるものだった。


式のあと、お礼のメールを送ると、とても端正な文章で返事がかえってきた。


心強い励ましの言葉ともに、実はスピーチが始まる前、挙式の時点でもうウルウルきていたことや、独身である先生としては教え子にすっかり先を越されてしまうことになったが、僕にもいい人がいないものか、というようなことが書かれていて、先生らしいはにかみが微笑ましかった。

仕事に関係のない話を大真面目にする楽しさ


すっかりノスタルジーに引っ張られて長々と書いてしまったが、今回、飲み会でも、先生の穏やかな雰囲気は変わらず、とても心地のいい時間を過ごせた。


世間話がてら、よく飲みに行くんですか、と聞いてみる。


「最近やっかいな問題を抱えていてね。飲みに行くような気分になれないんだよ」


――お忙しいんですか?


「いやぁ、忙しいわけじゃないんだけど、極秘のプロジェクトに参加させられてね。別に、内容が知れたからって国家が転覆するようなものじゃないんだけど」


先生の口から極秘のプロジェクトという言葉のとりあわせが面白かったんだけど、そんな話にはじまって、教育政策の話や、政治の話、様々な話題を、楽しく、まじめに意見を言い合う。


ふだんの生活の中で、仕事とは関係のないところで自分のアタマを振り絞って、何の利害関係もなく意見を言い合う、なんて機会はあまりなくって、とても楽しい。しかも相手は深い知見を持っている先生だ。


僕は保育士、友だちは高校教師をしているところから、教育現場であつかわれる物語は何を教えているんだろう、というような話になり、脳科学や心理学、社会学的な観点から分析する先生の思考が面白くって、思わず聴き入ったりもした。目の前の仕事に役立つような即効性はなくとも、マクロな視点から仕事の方向性を俯瞰する視点を得られた、というところもあって、楽しいなかにも、有意義な刺激があった。


保育士になった今、僕はもう、最先端の文学研究をすることはないだろうし、今後も、先生から様々なことをずっと教わり続けるのだろう。


ただ、僕はもう学生ではないので、教わるだけではなく、先生から教わったことを活かしながら、僕なりの何かを先生に投げ返せるようになりたい。そんな大それたことまで考えて、より自分の仕事や生活に関して前向きな気持ちになった。ただノスタルジーに浸るだけではなくって、大きな刺激を得られる酒の席だった。


以上、オランウータン日誌がまったくの身辺雑記をお届けしました。

*1:年賀状以外のやり取りはなかったわけだが、それがあったからこそ結婚式の出席のお願いもできたわけだし、今回の飲みの席にもつながった。そう考えると、年賀状は面倒だがいい文化だ。