オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

「図書館」のライブを聴きに行く――不思議で、楽しくって、かっこいい音楽

「図書館」のライブに行く。音楽を聴きに行ったのがひさびさで、心ときめていているオランウータン日誌です、こんにちは。ちなみに、「図書館」というのはバンド名で、本を借りることのできる建物で音楽ライブが行われていたわけではない。


図書館の新世界

図書館の新世界


濡れた歩道のうえの木漏れ陽をふんで歩く
はじめて歩く道だけど


一番はじめに演奏された曲の、最初のフレーズだ。ボーカルの心地よい歌声が、ピアノ、ギター、ベース、フルート、ドラムの演奏にのって届いてくる。

まるでここで生まれて育ったみたいに歩く
もう歩かない道だけど


こんな調子で、はじめての、でも、もう通ることのないだろう道を歩く、ということが歌われていく。花壇の花の名前を読み上げたり、口笛を吹くマネっこをしたりしながら、とってもご機嫌そうな様子で。


心地よい演奏が、するすると胸に入ってくる。


でも、この歌の静かなテンションの高さは何なのだろう。


「はじめて歩く道」、でも、「もう歩かない道」を行く。そんなことは、きっと日常にはありふれているのに、どうして歌にしようと思ったんだろう。しかもどうして胸に迫ってくるんだろう。


音楽に聴き入る一方で、そんなようなことが気になってたんだけど、曲が終わって、ボーカルの田中亜矢が「『わかれのうた』でした」と、曲のタイトルを言ったときに、いままでの演奏ぜんぶが、すとんと、深く、腑に落ちる思いがする。


そうか、穏やかなようでいてどこか張りつめたようなテンションの高さは、わかれにまつわる歌だからなのか。


わかれについて直接歌われることはないし、何とのわかれなのかが示されるわけでもない。ましてや泣いたり叫んだりするわけでもない。


いつかどこかであった(あるいは、あるかもしれない)わかれの感覚が、はじめて歩く、でも、もう歩かない道を歩くことに、静かな緊張をもたらして、聴くものの感情を揺さぶる。


激しい言葉も、劇的なフレーズがあるわけでもない、でも、それゆえにもたらされるリアリティがある。安易な共感は寄せつけないで、でも、聴く人の心の中に入ってくる音楽だ。やわらかな言葉、心地よい歌声、ゆたかな表情をつくるピアノ、いろいろな世界を見せるギター、朗らかに歌うフルート……。「わかれのうた」の後も、不思議で、楽しくって、かっこいい曲ばかりだった。


前回のライブが6年前で、次回は東京オリンピックの時にできたらいいね、なんてバンドのメンバーは冗談めかして話していたけど、今回のライブを聴くことができて、とてもよかった。


図書館の新世界

図書館の新世界

図書館の水源郷

図書館の水源郷