妻に最低と言われた話――怒りを怒りとして表現する大切さ
オランウータン日誌です、こんにちは。
ふだんは、むやみに不安になるだけなので将来のことを思い詰めないようにしているんだけど、そろそろ来年度のことを考える時期に来ていて、だから、否が応でも考えさせられる。
すると、家でごはんを食べている時など、何気ない時間に、ぼんやりと将来のことを考えることになる。自然と会話の受け答えも上の空。女性と違って、男はいくつものことを同時に処理できる脳みそを持ち合わせていないのだから仕方がない(都合のいい時だけセクシズムを持ち出す男オランウータン日誌)。
電気料金の支払い手続きのことも、洗濯洗剤と柔軟剤を入れ間違えたことも、全部いい加減な受け答え。
そんなこんなで、妻に最低と言われる。
いじけた態度はやっぱり最低
確かに僕の態度はひどくって、そんな上の空な人と一緒に生活を回していくのは嫌だろう。
でも、だからって、なにもそこまでいうことないじゃないかと思って、いじける。
いじけてる自分とか、怒っている自分と言うのは嫌なので、そういう時僕は、努めて口角を上げて、何でもないですよ、怒ってないですよ、というふうを装う。でも本心ではイジイジしてるから、ふだんよりそっけない態度。
そういう態度は火に油を注ぐので、「文句があるなら言ってよ!」と詰め寄られる。
――いいよ、どうせ俺は最低なんだから、言いたいことなんてないよ。
もう、我ながらこの態度は輪にかけて最低で、言っていてびっくり。妻もびっくり。「私は嫌味を言ってと言ったんじゃなくって、怒っていることを話してと言ったのに」
怒りを怒りとして表現する
あなたは電気料金のことを話している時も私に任せっきりだったし、洗濯のことも一緒に考えてくれなかった、そういう態度はやっぱり困る――そんな意味合いのことを妻は言って、でも最低は言い過ぎだったと謝る。
こういうときに、妻の人格が僕よりも何枚も上手であることを感じさせられるんだ。
怒りを、いじけた態度や嫌味として表明するのではなく、きちんと怒りとして表現できるなんて、当たり前のようでいて、いざ日常生活では、感情やら自意識やらが邪魔して難しい。怒りの矛先を、相手の人格に向けるのではなくって、改善してほしい行動として、具体的に伝えているので、ケンカもこじれない。
意識してやっているわけではなく、たぶん無意識にこういうコミュニケーションができるところがすごいなって思ってて、妻の尊敬できるところで、もう僕だっていい年なのに、こういう妻の姿勢から、学ぶものはたくさんあるのだと思う。
もちろん、妻とはすぐに仲直りしました。
以上、オランウータン日誌が犬も食わないような身辺雑記をお届けしました。
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