オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

橋口亮輔「恋人たち」を観る――祈りのような、強く優しいまなざし

オランウータン日誌です、こんにちは。


橋口亮輔監督の映画「恋人たち」を観る。


koibitotachi.com


「多い方と少ない方の少ない方の人間でも自分の生きる世界を好きになろうとしている」*1さまを描いた「ハッシュ!」、人と人とのつながりを決して諦めずに見つめ続ける「ぐるりのこと。」を作り上げた橋口亮輔監督の最新作。


深くふかく悲しみの底へと入っていきながら、ぎりぎりの所で絶望しない強さと優しさを感じる、間違いなく素晴らしい映画。以下、ネタバレはしないけど内容には踏み込んで感想を書きます。




3年前、通り魔によって妻を殺されたアツシ。弁護士として不自由のない生活を送りながら、恋人とも友だちとも心の通い合う関係が築けないゲイの弁護士。パート先の弁当工場に出入りする肉屋の男と不倫する中年の主婦。


異なる境遇の三人の生活を描き、時に遠くでつながりながら、ストーリーは静かに展開していく。


通り魔で妻を殺されるという、どうしようもない不幸の底に沈み続けるアツシの、怒りの強さに、悲しみの深さに、僕はたじろぐ。観ていてつらくて、目を逸らしたくなるが、橋口亮輔はまなざしを向け続ける。


「俺は、あなたの話を聞きたいと思っているよ。」


そう言ってアツシのそばに寄り添う同僚。「職場に暗い人がいるって言ったら、家の母さんがいっしょにテレビ見ようって言ってた」とあっけらかんと話す職場の女子。そう言われたからと言って、アツシは自分の心情を彼らに吐露したりはしない。悲しみと怒りの底でのたうち回りながらも、周囲の人たちとゆるやかにつながりながら過ごしていたアツシがどう変わっていくのかはここでは書かないけれども、僕はどうしてアツシが変わっていったのか理解できないままだし、万が一にでも同じ状況に置かれたとして彼のような生き方を選択するかも分からない。


それでも、同僚や、職場の女の子のお母さんのように、アツシを見つめる存在があることに、僕は希望を感じる。

ことばは、聴くひとの「祈り」そのものであるような耳を俟ってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちるように生まれるのである。苦しみがそれをとおして現れ出てくるような≪聴くことの力≫、それは、聴くもののことばそのものというより、ことばの身ぶりのなかに、声のなかに、祈るような沈黙のなかに、おそらくはあるのだろう。その意味で、苦しみの「語り」というのは語るひとの行為であるとともに聴くひとの行為でもあるのだ。
(鷲田清一)*2


だが決して、この映画は苦しみや悲しみの中にある人をあたたかく見守り立ち直らせるような、ハートウォーミングで泣ける映画ではない。


「やめましょう。これ以上やると傷ついてしまいます。
――僕が。僕が傷ついてしまうから、やめましょう」


そんなふうにして、本心を見せることなく、あらかじめ自分のことを守ろうとするゲイの弁護士。彼とて悪人というわけではなく、たくさんの傷を負っているがために身につけた処世術で、こういう生き方をしか選ぶことができなかったのではないか――、そうしてそれは、誰にも否定はできないことだ。


みんな、それぞれの人生を背負いながら、一生懸命生きてる。


突き放すわけでも、ましてや断罪するのでもなく、かといって安易に同情するわけでもなく、ただ目を逸らさずに寄り添うこと――、橋口亮輔の優しい強さが胸を打つ。


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*1:よしながふみ「愛すべき娘たち」より

*2:『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』