オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

歌うように子どもと話そう

保育園の先生というと大きな声で元気いっぱい子どもたちと遊ぶ姿をイメージするかもしれないが、私は基本的に子どもとかかわるときには大きな声を出さないようにしている。本当は100メートル先にいる人と話せる程度には大きくてよく通る声をしているのだが、むしろなるべく静かに話すように配慮しているくらいだ。


というのは、私の担当している1歳児クラスの子どもたちに部屋全体に響き渡る声で何か伝えようとしても、子どもはちょっとこちらを見るだけで、声がまるで子どもたちの頭の上を通り過ぎて行くかのように、こちらの意図が伝わらないということを経験的に知っているからだ。そもそも、伝わる伝わらないという問題以前に、子どもであるとはいえ人格を持ったひとりの人として接しようとするならば、大声で話すのは抵抗がある(少なくとも私は、人に大きな声であれこれ言われるよりは落ち着いた声で話しあう方が好きだ)。


そういうわけで私は子どもと話すときには声量を絞って、落ち着いてゆっくりと話すようにしている。それで何となく意思の疎通はできるのだけど、だからといって、たぶんこちらの話している言葉の「意味」なんて分かっていないんだろうなぁ、ということは常々感じている。子どもたちは声の調子や抑揚、話し方のリズムからこちらの意図をくみ取っているのではないだろうか。


そんなことをこの一年考えていたんだけど、最近読んだ本にヒトの新生児期の音声知覚メカニズムが書かれていて、子どもに対する言葉のかけ方に新たな視点が得られた。


子どもはことばをからだで覚える―メロディから意味の世界へ (中公新書)

子どもはことばをからだで覚える―メロディから意味の世界へ (中公新書)



正高によると、子どもは生得的に協和音を選り好んで聴くというということが、モーツァルトのメヌエットを原曲のまま新生児に聴かせた場合と、原曲のレとソの音をすべて半音下げたバージョンを聴かせた場合とを比較する実験によって明らかにされている。なぜそのような性質を生得的に持っているのかというと、それはヒトの音声発話が協和音で構成されているためであるという。


協和音を子どもが選り好んで聴くとはいえ、私たちの言葉は音の連鎖として発される。連続した音の連なりを、適切な単位に分節すること、つまり、ある文章に含まれる語と語の境界を把握することが言語理解の条件となる。音と音の間に空白があって、しかも、その空白の直前の音が他の音とは異質な音であったときに、連続した音の時間的布置と音の相対的高低差に注目して、音をグループ化して抽出し把握する能力をヒトは生得的に持っている。これもやはり新生児を被験者とした実験で明らかになっている。


そのようなヒトに生得的に備わっている音声知覚の性質をふまえた上で、連続する協和音の微妙な変化を聴き手に伝えやすくし、しかも、音と音の間を息つぎによってはっきりと示すという性格をもった、歌こそが子どもの音声知覚メカニズムに適している、と正高は論じる。


生まれたばかりの子どもにとって、連続する音の均質性を把握するためには、刺激の周波数変調が顕著な方が都合のよいことは、改めて指摘するまでもないだろう。大人は長い間の経験によって、騒がしい外界でみずから「聞きたい」と望むものだけを巧妙に聞くことを学習しているが、彼らはいまだその術を知らない。そうした状況下で、協和音を選択し、かつ、子ども向けの歌への選好傾向が心に組み込まれていることが、結局、言語習得を遂行していくためのもっとも効率のよい、生物としてのヒトの遺伝的プログラミングであったと想像されるのである。


正高の議論が示唆しているのは、大声で言葉をかけるよりも、落ち着いてゆっくりと話しかける方が、精神論的な意味においてではなく、知覚メカニズムという科学的な文脈においても、子どもとのコミュニケーションに適しているということだ。


ヒトは大声を出すときには、大きく息を吸ってから一息にしゃべる。つまり、声のトーンは一本調子になり、抑揚に乏しい話し方になるということだ。すると、子どもはその言葉を解釈するとっかかりを無くすことになる。大声で話すことは、子どもが私たちの声を「意味」としてではなく、「メロディ」として把握しているという性質を無視している。


それに対して、子どもと落ち着いて話そうとする場面において、私たち大人は、意識するしないにかかわらず、自然と語と語の間を分かりやすく示すようなゆったりとしたリズムでの、抑揚を強調した話し方になる(ちなみにこのような話し方を「育児語」という)。言いかえるならそれは、子どもの耳に入っていきやすい「メロディ」として私たちの声を届けるということなのである。


言葉を「メロディ」として把握しているという子どもの音声知覚のメカニズムを理解したところで、ではどうやって「意味」ではなく「メロディ」によって意思の疎通が図れているのかという疑問は解決しないのだけれど、少なくとも、子どもと接するときにどうやって話しかければいいのかは見えてくるのではないだろうか。


子どもと話すときにはきちんと向かい合って、ゆっくりと落ち着いた語りかけによって、私たちの「伝えたい」という思いを、どのように言葉のメロディに乗せるのか意識すること、そう、歌うように子どもに話しかけるのである。