オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

子どもは皮肉な詩人です。

「うちのお母さんの会社は××××(某有名企業)なの!本を作るお仕事してるんだよ!」


ということをほぼ毎日、たとえばみんなで給食おいしいねぇみたいな話をしているときなんかに、全く空気を読まずに言ってくる女の子がいて、私はその度に「チッ」と思って(もちろん思うだけで舌打ちはしないし「だからどうした」とは言わないが)、「○○ちゃん、今はね、給食の話をしてるんだ」とか言い返して、するとその子は一瞬ぽかんとして、照れたような困ったような表情をする。


まぁ、そういう居心地の悪い経験をするなかで、自分の思いを話すだけが会話ではないということを学んでいってほしい。


また別の日のこと。


「うちのお母さんね、お腹痛くてもちゃんと会社行くんだよ!」


という話をその女の子がしてきて、私はそれには素直に感心して、「へぇ、お母さんがんばってるんだねぇ、えらいねぇ」なんて言ってると、そのやりとりを聞いてた別の子どもが驚いたように会話に入ってくる。


「え?! ○○ちゃんのお母さん、お腹痛くても歯医者さん行っちゃうの?! 変なのー!」


自慢話に「そういうのみっともないよ」というのはたやすいけど芸がない。言われたら傷つくし、お互いに憎しみしか生まないから、いくらそう思ったからって言っちゃいけないことだ(まあ、そんなこと子どもは感じないし言わないだろうけど)。それに対して、「歯医者さんに行っちゃうなんて変なの」と言った子にはたぶん悪意がなくただの聞き間違えで、なのに、ごくナチュラルに皮肉の利いた返しになっている。


私はすごくツボに入ってしまって、会社自慢の子が「違う! お腹が痛くても会社に行くの! 歯医者には行かない!」と気を悪くするくらい大笑いしちゃったんだけど、やっぱり子どもの言語感覚っておもしろいなぁ。音の類似性によって、日常言語の意味内容をズラしてユーモアを生んでいて、そういうのって、もはや詩って呼んでもいいんじゃないか。


悪意から発されたのではない言葉って、たとえパンチが利いた内容でも、不思議と怒る気がしなくって、愛嬌が生まれるんだから、思ったことや感じたことはどんどん口に出してもいいと思うんだ。いいよ、何でも聞くからもっと話してくれよ、って思う。