子どもの行動は子どもの心の表現である。
子どもの行動に注目するのではなく、その行動の背後にある心の動きをくみとることで、子どもとのやりとりがスムーズになるということがよくある。
それは育児をする上でのテクニックである以上の、子どもの成長にとって必要な関わり方でもある。
事例をもとに考えてみたい。
それは育児をする上でのテクニックである以上の、子どもの成長にとって必要な関わり方でもある。
事例をもとに考えてみたい。
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2歳のWちゃんは早食い、大食いで、月齢のわりに発達が早いほうだ。家庭できちんとしつけられているようで、言葉の理解も早いしっかり者である。
保育園での生活は、昼食の終わった子どもから順に着替えて、そのままお昼寝という流れになっている。だから早食い、大食いでごはんをすぐに食べ終わるWちゃんは、しっかり者らしく着替えも自分でやろうとがんばって、一番に布団に入ることになる。
だが最近、Wちゃんはごはんを食べてデザートの果物の最後の一口になると、延々と咀嚼し続けて飲みこもうとしない。園だけではなく、家庭でも最後の一口になるといつまでも口に入れっぱなしにするのだという。
いつまでも口の中に食べ物を入れておかないんだよ、イヤならもう出しちゃおう、と声をかけても首を横に振るばかりである。行儀悪いし、困ったなぁと思っているときに、ちょっと考えて問いかけてみる。
「ね、じゃあ先生と一緒に着替えようか。ご飯食べ終わって、『ごちそうさまでした』した後も、ここに座ったまま先生のこと待ってていいよ。だから口の中のもの飲んじゃおう」
するとWちゃんはこちらを見てしっかりとうなずき、みかんの最後の一口を飲み込む。「じゃあ先生が片づけ終わるまでとなりに座ってていいからね」。Wちゃんは機嫌よさそうに座っている。
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家庭できちんとしつけられ、保育園でもしっかり者としてがんばっているWちゃんの行動をもし、「行儀が悪いのでやめなさい」と言って単にやめさせたならば、それは子どもの表面しか見ていない対応だと言わざるを得ない。いくらしっかりしているように見えるとは言え、Wちゃんは赤ちゃんと呼ぶことすらできる2歳の子どもなのだ。まだまだ大人に甘えたいし、その気持ちはしっかり者として振る舞っている分、行き場をなくして大きくなっているかもしれない。「本当はもっと大人のそばにいたい」、そんな思いが「食事の最後の一口をずっと口に入れておく」という行動になって表れたのではないだろうか。
子どもの行動は、子どもの心の表現である。
行動の表面的な意味だけを受けとって、単に「困ったもの」として叱りつけたり、無理に矯正したりするのは、「感じるな」であるとか「表現するな」という子どもが自分の感情を持つのを否定するメッセージですらありうる。
行動そのものではなく、行動の背後にある心の動きに注目してやることが重要なのだ。これは子どもを大人の都合のいいように動かすための単なるテクニックではないし、ましてや甘やかすことでもない。
自分では言葉にできない気持ちを大人に分かってもらい、代弁してもらうことによって、子どもは自分の気持ちを整理する。自分の心の動きを整理し把握することは、自分を律し、自分の行動を変えていく第一歩である。
さらに、共感的に関わってもらうことは、「私は分かってもらえるんだ」、「私は私の気持ちを表現していいんだ」、という生きる上での基礎となる安心感や自信、人生に対する前向きな態度を育てることにもつながっているのである。
私たちは子どもの行動に注目するのではなく、その行動の背後にある心の動きを感じとる姿勢を忘れてはならない。そうすることによって、子どもとの関わりがスムーズになり、子どもも大人もストレスが減るだけではなく、子どもの健やかな成長の基礎を作ることにもなるのである。