オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

デート=何でもない時間を一緒に過ごすために出かけることーーデートに関する一考察

お天気がよくデート日和な週末に心躍らせつつも、妻は友だちと美術館に出かけていったので、一人で自転車いじりをしていたオランウータン日誌です、こんにちは。


毎週末一緒に過ごすわけではないにしても、結婚してから妻と過ごす時間は、別々に暮らしていた独身時代よりも当然増えて、週末に出かけることは日常の一部となっている。


夏物の服を買いに行かなきゃ、母の日だからそろそろ実家にも顔を見せに行かなきゃ……、ともすれば「何かやらなきゃ」のお出かけが増えてきて、二人ですごす時間はたくさんあるのに、最近デートしてないねぇ、なんていう話にもなってくる。


いったいデートって何なのか。

デートは目的を遂行するために出かけることではない


日用品を買いに行くための外出をはじめとして、何かの目的を達成するためのお出かけでは、たとえ夫婦で過ごしていても、デートとは言えない。タスク処理だ。


二人でタスクを処理するのも、それはそれでとても楽しい。たとえばある休日。午前中に分担して家の掃除をして、どちらかがお昼ごはんを作ってもう一方はあと片づけをする、午後は日用品の買い物へ。効率よくタスクを片づけていくのは、ちょっぴり有能感を得られて、俺たちいいチームを築いてるぜ!と思える。二人で日常を円滑にまわしていくことも大事だ。


でも、日常のことを具体的に目的的に行うことはデートとは別物だ。デートとはもっと抽象的で、ふわふわしたものであるはずなのだ。

デート=何でもない時間を一緒に過ごすために出かけること


ドライブデート、映画デート、遊園地デート、美術館デート……、デートにはさまざまな枕がついて、一見、楽しい目的をもって、二人で出かけることであるかのように見える。


だが、ことデートに関していえば、ドライブも、映画も、遊園地も、単なる口実に過ぎない。


たとえば、王道ともいえる映画デート。


二人で映画を見るのはもちろん楽しい。映画館の暗がりの中、隣り合って同じ物語を見るのは、確かにそれだけでも出かける価値があると言える。でも、映画館デートが王道たりえるのは、別の理由があるのではないか。


映画を見る前、待ち合わせから上映までのスキマ時間ができがちだ。あるいは、映画を見た後すぐに帰ることはあまりなく、喫茶店に入ったり、ごはんを食べに行ったりすることが多いだろう。映画の前後に、宙ぶらりんな時間ができやすいことが、映画がデートに使われやすい理由だと思う。


何か有意義なことをするのがデートなのではなく、宙ぶらりんな時間、ただ二人でいるというだけの時間を過ごすことが、デートがデートである条件だと僕は思う。


何となく二人で時間をつぶす。話をしながら、散歩をしながら、お茶を飲みながら……。そんな風にして、何の意味づけもされていない時間を、相手と一緒に楽しい時間へと作り変えていく。二人でそういう時間を過ごす中で、相手のことを知ることができる。


ふだん、日常を送るだけでは見ることのできない、相手の新たな一面を知ったり、改めて相手がどんなことを考えているか分かったりするような、何でもない時間を意識して作ることって、きっと大切なのだ。


デート=相手と何でもない時間を一緒に過ごすために出かけること。僕はそう定義してみたい。がちがちに予定を詰めこんでいたら見えないものを見に、のんびり出かけてみませんか。


以上、オランウータン日誌がお届けしました。