オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

フィアンセの高校時代に嫉妬、童貞こじらせを激しく実感

フィアンセが結婚式の二次会に出かけた。高校時代、彼女は割と強豪の運動部のマネージャーをしていて、その時の仲間が新郎であるそうだ。


結婚式の二次会と言えば、妙齢の男女には絶好の出会いの場。しかも、そこに集まるのは高校の同輩たち。特に面識があるわけではないが同門というだけで親近感がわく先輩、後輩たち。同門である、ということは、同じような家庭環境で、似た価値観に育ってきた可能性は高くなるわけで……。


というように、あえてネガティブな要因を挙げようと思えばいくらでも書けるんだけど、そんなことをするのは不毛で、婚約中であろうが、付き合いたての恋人であろうが、銀婚式を迎える夫婦であろうが、相手の心の全部が分かるわけではないので、ただ信頼するのみなのです。

夫婦円満の秘訣は信じることです。信じるとは、なにか疑わしいことがないから信じるのではなくて、ただもう無暗に信じるのです。屁理屈も理屈、邪道も道、腐れ縁も縁。
長嶋有『パラレル』)


だから、その二次会で彼女が、本人曰く「高校時代には雲の上のような存在だったかっこいい先輩」と腕を組んで楽しそうに写真を撮ってきても、全然平気。平気の平左。「俺以外の男と腕組むなよ」って言うだけで、そんなのは「俺と一緒じゃない時にノースリーブ着るなよ」っていうのと同じ次元の話だ。(要するにどっちも冗談ということです。念のため)


……とは思うんだけど、何だろうこのモヤモヤ感。そういえばこういう感じって、彼女が高校時代の話をするたびに感じる。どうしてだろうって考えてみる。あの時の憧れが今になって再燃、みたいな現在およびこれからへの不安に原因があるのではなく、どうも「かっこいい」と彼女が高校時代に感じていたという過去の事実に、その原因があるような気がする。(もう10年以上も前のことなのに!)

「しかしナスはさ、イカすよね、名前がいいしね」
「イカします」小説もみせたくなる。
「どう、惚れた?」問われて少し考える。
「惚れたというより、うらやましかったです」あぁ。得心の行ったという顔で、金子先生は腕組み。先生は、格好いいブーツを履いている。
「私もあなたくらいの時、格好いい男の子みると、好きにならなかった。その人になりたいって思った!」
長嶋有『ぼくは落ち着きがない』)


「惚れたというより、うらやましかった」という感情を誰かに対して持つことって、たしかに自分が高校生くらいの時を思い出してみると、あったよな……。最近読んだ高校を舞台にした小説を読んで、そんなことを考える。


ウジウジした自分から見ると、とても輝いて見える人。朝から晩まで練習している野球部でも、文化祭のステージに立つバンドでも、好きなことをやってる人は同性、異性を問わず素敵に見えた。


そういう感情を異性に対して持つと恋になるかというとそうではなかった。恋ではない、単なる憧れというにはウェットな、いわく言い難い感情。青臭くて、純情だったと思う。


彼女がどういう高校時代を送っていたのか、どういう風に「かっこいい」を感じていたか僕には分からないけど、ともかく、純情だった(であろう)高校時代の彼女に、恋ではないが「かっこいい」という感情を抱かせた相手は間違いなく「かっこよかった」んだろうなと思うと、それって、前の恋人とかよりもよっぽど嫉妬の対象になるんじゃないか。だって、恋愛感情よりもピュアでキラキラしてる感じがするもん。


こういうことを、いい年してウジウジ考えてしまう時に、童貞をこじらせた自分の無為な十代に思いをはせ、かつ、その童貞こじらせメンタリティからいまだに卒業できていないことが実感されて、かたはらいたい思いがするのです。

「きらきら」から遠ざかり、しかしそれに替わる何かをみつけられないまま、今も「きらきら」に憧れ続けている。私は「青春ゾンビ」だと思う。
穂村弘『世界音痴』)


パラレル (文春文庫)

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ぼくは落ち着きがない (光文社文庫)

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世界音痴

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