オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

2週間近く隔離されていた

コロナの影響は身近に迫っていた。職場にも陽性者が出て、僕も濃厚接触者ということになって、2週間近く健康観察期間として自宅待機になった。

 

ワクチン接種が折悪しく重なり、初めの数日間は高熱でうなされた。その後も咳が出続けて不安だったが、検査の結果、結局はコロナではなかった。

 

元から在宅勤務の妻は、基本的には元気だった。家族に濃厚接触者がいるということで、息子は保育園の登園を自粛して、家で過ごすことになった。僕は、副反応から回復しても濃厚接触者なので隔離生活が続いた。基本的には自室から出ずに過ごした。要するに、妻に全ての負担がかかった。

 

いっぽうの僕は、快適だった。自室で仕事、定時に3食妻が運んでくれて、仕事以外の時間は全部自分だけのものだった。映画、ドラマ、本……、普段よりたっぷり時間をかけて文化作品を味わった。(皆が寝静まった後に食器洗いや風呂洗いはやってはいたけど)

 

ドラマ、映画

modern love season2

 

 

全裸監督

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マリッジストーリー

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ラストレター

www.toho.co.jp

 

 

虐殺器官

 

 

ハーモニー

 

 

論語ビギナーズクラシックス

 

 

恋愛論

 

 

グラフィックファシリテーションの教科書

 

 

今、もっとも必要なこれからのこども・子育て支援

 

 

 

 

虐殺器官、ハーモニーは学生時代に読んだことがあって、その時も衝撃を受けたんだけど、今読み返すといっそう楽しく読めた。疫病の時代に読み返すことで感じるものがある、というのももちろんなんだけど、当時より自分自身が脳科学や進化人類学、哲学の知識をわずかながらも積み重ねてきたことで、作品の主題により深く思いを寄せながら読むことができた。

 

と、突然仕事や研究の話になるんだけど、保育の世界ではいま「子ども主体の保育」をしよう、ということになっている。その方向性には異論がないんだけど、そもそも人が主体的であるというのはどのようなことなのか、主体的であるということが定義できたとしてそれを実践するのは可能なのか、主体性は子どもにおいてはどのようなあらわれかたになるのか……、といったことは、丁寧に考える必要があると思ってる。

 

なんでそんなしち面倒くさいことを考えるようになったかというと、伊藤計劃作品の影響はきっとあるのだろう。学生時代から読み続けている文学が、自分の思考のベースにはあるのだ。図らずも得られた自宅での時間は、自分の思考の原点を確認する機会となった。忙しい日々がまた始まるが、優れた作品に触れる機会は少しでも持ち続けていたい。

 

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