オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

「大親友」では言い表せない――甘さも幻想も受け入れずとどまる

年齢的なものなのか最近結婚式を挙げる友だちが多いけど、誰も僕を呼んでくれないので、Facebookでしかその様子を知ることができないオランウータン日誌です、こんにちは。


仲のいい友達の結婚式にお呼ばれした時、SNSに「大親友の結婚式に行って幸せのおすそわけをもらいました~!」みたいなほっこりする投稿をする人がたまにいる。友だちの結婚式に行くのは楽しいだろうし、幸せな気持ちになれるのも素敵だ。仲のいい友達だとそれはひとしおだろう。


でも、僕には「大親友」というのがいったいどんな関係の友だちをさすのか、よくわからない。きっと、嬉々として「大親友」の結婚式に行くような人たちからすると僕のような男は、人のぬくもりを知らない寂しいやつと思われるのだろうけど、いったいなぜ「大親友」という言葉にひっかかるのか考えてみた。


ポイントは、「大親友」という言葉が、人との関係性の個別性を無化するということと、すべて分かり合えるという幻想を持たれがちだということだ。

それぞれにかけがえのない関係性を無化する言葉


一緒に自転車で出かける友だち、本の話をする友だち、仕事の悩みを相談しあえる友だち、ケーキの食べ歩きをする友だち、ただただ、くだらない話をする友だち……。


同性、異性を問わず、心が通っていると感じる友だちがいる。


だが、どんなに心が通っていても、「大親友」という言葉では、それぞれの友だちとの関係性を正確に言い表せない。


「大親友」って、同じ中学でずっと仲良くしていた友だち? 今でも月に一度は必ず飲みに行く? 大人になってもバカなことで盛り上がれる仲間? 今までで一番の友だち? すべて分かり合える友だち?


それぞれ個別的でかけがえのない関係を、「大親友」という大味で陳腐なイメージをまとった言葉では言いあらわせない。一人ひとりの友だちに一番も二番もなくて、それぞれにかけがえのない関係だ。


人と人との関係を、甘ったるい言葉で十把一絡げにしたくない、という思いがあるから、「大親友」という言葉を聞くと違和感を覚えるのだ。

すべて分かり合えるというナイーブなイメージを持つ言葉


親友、ふつうの友だちと呼ぶだけでは足りない、特別な友情で結ばれた関係。ただでさえスペシャルな親友に、「大」という立派な冠をのせられた「大親友」。


世間でどう思われているのかは分からないけれども、僕は、きっと「大親友」同士は、価値観が似通っていて、すべてを分かり合えるような関係なんだろうなぁ、というイメージがある。


もちろん、いくら仲のいい者同士であっても、すべて分かり合えるなんてことはないわけで、そんなのは幻想に過ぎない。


もしかしたら、大親友同士だから、価値観も一緒で、何でも話せて、どんなことでも分かり合える(と思いこんでいる)人もいるのかもしれないけど、いくら仲良しであっても僕はそんな関係の友だちはいないし、別にいないからといって寂しくない。


鼻を垂らしていたころから付き合いのある友だちもいれば、最近知り合った友だちもいる。自分の価値観を隠さず見せて話し合う友だちもあれば、一定の距離をもって付き合う友だちもいる。ある部分では心から共感しあえるが、別のところでは意見がぶつかる友だちもいる。


すべて分かり合えるなんて幻想を必要としない、僕は僕として、あなたはあなたとして、それぞれ別の人間としてぶつかることのできる人間関係を築いていければ、それはすべて分かり合える「大親友」を持つよりもかけがえのないことなのだと思う。

人と人との関係に特別な意味を与える必要はない


「大親友」という言葉は甘くって、その甘い響きに酔ってしまいがちだ。けど、人とひととの関係を言い表そうとすると、自分が感じている以上のイメージを持ってしまう言葉だと思う。自分がその人と築いてきた関係の質感や肌理を失って、ただつるんとしてのっぺりとしたイメージをまとう言葉……。


その人との関係に、何か特別な意味を与えたくて、そういう時に「大親友」としか言えない、ということがあるのかもしれない。


でも、人との関係に特別な意味を与える必要なんかなくって、幻想や甘いイメージに酔うことを拒みながら、事実は事実として、それ以上でもそれ以下でもない「友だち」でいいんじゃないか。甘くなくっても、すべて分かり合えなくっても、「友だち」として誠実に付き合える人がいることだけで、僕は満足だ。


以上、オランウータン日誌がお届けしました。

 いい奴とばかり、出会ってきたな――。
 そんなふうに感じることが、ときどきある。
 いい奴という、その「いい」に関するものさしは人それぞれ違うと思うのだけれど、少なくともわたしは、凹(くぼ)んでいる人間が好きである。
 凹みには何かが溜まる。そうしてその溜まったものはいつか腐り、匂いを放つ。
 それがいい匂いであるわけはないが、ただ、何の匂いもしない奴よりはたとえ異臭であっても匂いのある奴の方がいい。
鷺沢萠『愛してる』)


愛してる (角川文庫)

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