オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

結婚式で、愛されて育った自分と相手に出会う

先日、結婚式を挙げた。


結婚式なんてリア充たちの高級なお遊びだ、あんなのは幸せの押し売りだ、いちにち中こっぱずかしい見世物になるのが楽しいなんてとんだ鉄面皮だ、などなど、結婚式への罵詈雑言にはこと欠かかなかったこの俺が……、という思いはあったのだけれど、やってみたら楽しくて、忘れられない一日になった。


両親をはじめとした家族、親戚、気のおけない友だち、恩師、自分の身近な、大好きな人たちからの祝福を受けるのはもちろんうれしくって、楽しいに決まってる。


でもそこであえて立ち止まって、なぜ(高い金を払ってまで)結婚式をして良かったと思えるのかを考えてみると、自分たちがいかに愛され、あたたかく見守られてここまで来られたかを感じることができるからなんじゃないか。

父のスピーチ


式の間、しんみりした気持ちになることもなく、みんなの温かい祝福を受けて楽しく過ごしていたんだけど、最後の新郎父による謝辞、つまり僕の父のスピーチのところでは、ちょっとグッときてしまって、涙をこらえるために宙を仰いだ。


父はバスの運転手をしていて、人前で改まったスピーチをする機会はまったくない。ハンドルを握っている間も心の中では常に矢沢永吉の音楽が鳴り響いているロッケンローラー、形式ばったスピーチなんてクソくらえとか言いそう。


どんなことを話すんだろう、と内心で心配していたんだけど、ぐんぐん引き込まれるとてもいいスピーチだった。


本日はお日柄もよく、で始まるような決まり文句を読み上げる月並みなあいさつから始まって、話は僕の幼少期へとさかのぼっていく。僕が小学校4年生くらいまで本当にぼんやりしていてまるで夢遊病のようだった、というエピソードで笑いを取りつつ、自分はふざけたことばかり言って、父親らしいことは何ひとつしてこなかった、と父親としての思いをこぼす。――ぼーっとして、ふらふらしていたこいつが、こんなに大きくなるなんて……、とおセンチなことを言い始めたころにはもう原稿なんて見ていなくって、思いのままをしゃべっているような調子。


――あんなに小さかったこいつが、こないだお嫁さんを連れてうちに遊びに来た時、二人の様子を見て、ああ、いろいろ心配してきたけど、この人に任せていいんだな、この二人なら大丈夫だろうって。もう俺の役割は終わったんだなって、そう思ったんです。


まるで息子ではなく娘を嫁に送り出すようなことを言っているようだけど、第一子で長男である僕への思いがストレートに伝わってきて、素直に感動した。この言葉の後には、ドアをノックしても開かなかったら、蹴っ飛ばしてでも開けろ、基本的に頑張っている奴がかっこいいんだ、という父らしい僕の人生への激励が続いて、内心苦笑しながらも、これから始まる結婚生活へ向けて気持ちが引き締まる思いがしたものだった。


ふだん、あらたまった話を父とすることはないけれど、結婚式という場でまっすぐな父の思いを聞けたことで、なんだか僕の結婚に太鼓判を押されたような、めっぽう励まされる思いがした。

準備も含めて結婚式はいいものです


父のスピーチを聞いて、思い出したことがある。


結婚式の準備で、幼少期の写真を引っ張り出した時のことだ。


僕の1歳か2歳の誕生日に、今の僕よりも若い両親と、カメラが怖いと泣いている僕との3人で写っている写真。カメラ目線で微笑む母、泣いている僕を指さしながら呆れたような顔を作っている父、真ん中に僕。その写真を見て、妻がつぶやく。


――この写真を見たら、絶対にいい結婚式にして、あなたのお父さんとお母さんにも見てもらわなきゃって、あなたと幸せにならなきゃって思うよ。


妻のこの言葉を聞いたとき、僕は自分が愛されて育ってきたことに、あらためて気づかされて、そしてそれを受け止めてくれる妻と、絶対に幸せにならなければならないと心に決めた。


妻の小さい頃の写真を見ると、僕も妻がつぶやいたのと同じような気持ちになる。妻の幼少期の写真なんて、おかめかひょっとこにしか見えないんだけど、かわいくてたまらん。

結婚式はやってみると絆が深まります


家族に愛されて育った自分と相手を実感できるだけじゃなくって、友だちや恩師の心遣いも本当に、素直にありがたくって嬉しかった。


私たちを祝おうと余興の練習のために何日間も集まってくれた友人たち。ふだん、あらたまって話すことはないけれども、マイクを渡してみると、思いもよらないあたたかい言葉をかけてくれた人たち。


心がほかほかになるいい時間を過ごすことができるので、(ちょっと高いけど、おかげで借金まみれだけど)結婚式はやったほうがいいと思います。

時間は誰にも等しく流れていって、家族の形も変わっていく。
自分も8人家族には戻れないけど、周りの大人に愛されて、守られて育った記憶は消えない。
これから自分が死ぬまでのあいだ、その記憶に支えられていくと思う。

(川内倫子Cui Cui』より)

Cui Cui

Cui Cui