オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

映画「鑑定士と顔のない依頼人」に打ちのめされる。――芸術とは、愛とは、真実とは?

ニュー・シネマ・パラダイス」のトルトナーレ監督による、「鑑定士と顔のない依頼人」を高田馬場名画座早稲田松竹で見る。


映画『鑑定士と顔のない依頼人』公式サイト 2014年8月2日(土)ブルーレイ&DVD発売
f:id:nafu38:20140621215622j:plain


天才的鑑定眼を持ち、世界の美術品を仕切る一流鑑定士にして、オークショニアのヴァージル・オールドマン。ある日鑑定依頼を受けた屋敷で彼を待っていたのは、数々の価値ある美術品と、秘密の部屋から決して出てこない女――。我慢できず、彼女の姿を盗み見たヴァージルは、その美しさにどうしようもなく惹かれていく。だが、直後、彼女は忽然と姿を消す――。

トルトナーレが仕掛ける極上のミステリー!陶酔もつかの間、衝撃と驚愕があなたの息を止め、切ない涙が頬を伝う――。
(早稲田松竹ウェブサイトより)


久々の一人映画。映画館で映画を見るのも久しぶり。今日は昼に読書会に参加して、その後、一人でこの映画。どっぷり物語の世界に入った一日。まいった、打ちのめされた。


数か月前にこの映画を見た友だちが、「ニュー・シネマ・パラダイス」って何だったのか、改めて考えさせられた、という意味合いの感想を書いていて、確かに、対照的な作品で、まったく違ったおもしろさがあった。


ニュー・シネマ・パラダイス」のラストはあまりに有名だ。スクリーンへ次々に映し出される無数のキスシーンを見て、主人公の映画監督サルヴァトーレは涙する。映画への愛と、映画を愛してきた自分への肯定感があふれる名シーンだ。


鑑定士と顔のない依頼人」では、鑑定士の主人公ヴァージルは肖像画のコレクションに取り囲まれている。彼が生涯をかけて集めてきた最高級の芸術品。だが、やっと手に入れた愛が偽物だったとき、すべてが崩れ去ってしまう。


一方では自分が生涯を傾けてきたものへの肯定、もう一方ではすべての崩壊。


偽物の愛によってすべてを失うヴァージルだが、美術品について、贋作にも作者の真実が宿る、というようなことを言っている。ヴァージルの言葉に従うのならば、贋作と真作の違いとはいったい何なのか。また、愛が一つの芸術作品だとすると、愛もやはり偽れるのではないか、という意味合いのやり取りも描かれる。だが、とすると、たとえその愛が偽りであったところで、そこに偽物なりの真実も宿るのではないか――。


数々の精巧な装置によって組み立てられた物語は、えてしてリアルには起こりえないようなできすぎた話だ。そんな中で、「極上の」ミステリーとは、その物語が単なる謎解きで終わらず、私たちの生きる現実を揺るがせる力を持って迫ってくる作品のことなのではないか。


鑑定士と顔のない依頼人」とは、まさに極上のミステリー。すべての謎が鮮やかなどんでん返しで暴かれたのちにも、芸術とは、愛とは、真実とは何なのか、そんな問いが観る者の胸に残されるのだ。