オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

朝日が見えても見えなくてもーーハネムーンでバリ島に行ってきた

結婚式が終わったあと、ハネムーンでバリ島に行ってきた。


熱帯らしい開放感あふれるプール付きのヴィラ、日本の我が家よりも広いバスルーム、自然に香るプルメリアの花。ビーチでヨガをしたことや、レストランで食べたごはんがどれも辛かったこと。本当に楽しくって、夢のような時間だった。


なかでも、ランプヤン寺院に朝日を見に行ったときのことは、きっと生涯忘れないのではないか、と思うほど幸せだった。

朝日が見えても見えなくても


夜中の二時に起きて身支度を整え、ヴィラに迎えに来た現地ガイドの車に乗って3時には出発、というハードスケジュール。


2時間以上車に揺られて、バリ島東端の山の中腹まで行き、そこで日の出を待つ。


深い群青色だった明け方の空がだんだんと白んでくるなかを、妻と二人で簡易椅子を並べて座る。朝日を見にここまで来たとはいえ、自然現象なのでもちろん見えるとは限らない。


「あの山の上あたりに見えるんですけど、ちょっと雲がかかっていますね」


よく晴れていて空は美しく茜色に染まってきているのに、ガイドの指さす方を見ると、確かにそこだけ雲がかかっている。


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鳥の鳴く声があちこちで聞こえてくる。近くの集落で犬が吠える声が増えてきた。空はますます明るくなってきたが、山の上には雲がかかったままだ。朝日が昇るところは、見られないかもしれない……。


――もし見られなくても、全然かまわない。


あの雲がもうちょっと流れてくれたらいいのに、と気が気でない様子で話す妻にあいづちを打ちながら、実は僕はもうじゅうぶん満足していた。


真っ暗ななか、夜明けを待って、明るい方に顔を向ける。朝日が見えるのかどうかは分からない。だが、たとえ見えなかったとしても、山や、空や、太陽は、僕たちを拒んでいるわけではない。明け方の静けさのなかでじっとしていると、大自然に包まれて自分が世界の一部であることが感じられて、この世界に受け入れられている実感に胸を打たれる。そして、隣には妻がいる。本当にこれから光が見えるかどうかは分からないが、それでも同じ方を向いて、同じものを待っている。


もう、待っている時間だけでもじゅうぶん過ぎるくらい幸せだった。


心の中でひとりで盛り上がっていると、ぼんやりした山の稜線が濃いオレンジ色に染まって、静かにひときわ明るい光がさしてくる。


朝日だった。


自然が僕たちのことを祝福してくれているようで、喜びが満ちてくる。言葉にならなくって、特別なにか感想を言い合ったわけではないけれども、大きな力に包まれて、こうして二人で同じものを見られたことは、きっと一生忘れないのだと思う。


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しばらくすると、ちょっとこっちに来てください、とガイドが数十メートル離れたところに案内して、道の真ん中で立ちどまる。何だろうと思っていると、「こっちです」とガイドが指さす。


振りかえると、朝日を浴びたアグン山が美しい威容を見せていた。もしかしたらバレていたかもしれないけど、僕は山に見入るふりをして、涙ぐんでいることを妻に悟られないようにするのに必死だった。


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