オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

角田光代『おまえじゃなきゃだめなんだ』レビュー――「好き、の先にあるもの」へ踏み出していく



好きという一途な思いや、絶対にこの人とは離れたくないという純粋さ。それはそれで、かけがえのない輝きを放つものであるには違いないのだけれど、でも、その輝きが失われてしまったら?


角田光代『おまえじゃなきゃだめなんだ』に収録されている作品は、「好き、の先にあるもの」へ踏み出していく男女の姿を、優しく、肯定的に描いている。こういう風に書くと陳腐なんだけど、角田の初期作品に書かれていたことを考えてみると、「好き、の先にあるもの」へと踏み出すのは、大きな一歩なんじゃないかと思う。


角田の初期作品、「幸福な遊戯」や「エコノミカルパレス」で描かれる登場人物たちは、「若く、自由で、そのぶん不安定で、たくさんの悩みを抱えながら、でも自分なりの足場に立つことをよしといていた」(藤野千夜)。彼らの生き方は世間の常識からするとちょっと外れているかもしれなくて、でも、彼らなりのかけがえのない輝きを求めていて、誠実だ。


そうして、かけがえのない輝きを求め、失うまいとする誠実さゆえに、彼らは自分たちの内側にとどまりがちで、次の一歩に踏み出せないでいる。純度の高いものを求めるがゆえに、煮詰まってしまって、結局関係は壊れてしまう――。


『おまえじゃなきゃだめなんだ』に収められている作品の登場人物たちも、誠実で、かけがえのない輝きを求めているのは同じだ。だが、彼らは、「好き」という輝きが失われたあとにくるものだって、決して悪いものではないということが分かっている。


ひょっとしたら、というか、確実に、好きという気持ちは永遠じゃないんだ、と耕平は思う。永遠だと信じたいけれど、でもきっと、それは変形したり、黒ずんだり、傷ついたり、あるいはぽっかりとなくなってしまう種類のものだ。だからこそ、自分は、好きだ、のその先に行きたいんだ。永遠であってほしいと願っている正真正銘の今の気持ちを、変形しないうちに、かたちにしたかった。
(「消えない光」)

かけがえのない輝きが、いつかは失われてしまうとわかること。それは冷めているわけでも、あきらめでも妥協でもない。もしかしたら、離れ離れになってしまったり、別の誰かを好きになったりすることがあるかもしれない――そんな、輝きが失われるこわさも引き受けて、それでも、「永遠であってほしい」と願う思いの強さは、角田の初期作品に描かれていた誠実さからまったくぶれていない。誠実さも、純粋さも持ったままで、次の一歩に踏み出していこうとする姿に、胸が熱くなった。