オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

「私の思い」を相手に届ける「Iメッセージ」のコミュニケーション

人が誰かの働きかけによって何かしようとするときには、合理的・目的的な理由よりも、その相手の思いの強さによるところが大きい。これは子どもと毎日過ごしていて身をもって感じることである。


かけがえのない「あなた」と他ならぬ「私」の関係性の中で、「私の思い」を伝えること。それは子どもと関わる上での有効な働きかけ方であるにとどまらず、大人を含めた、人と人とのコミュニケーション全般においても大切なことなのではないだろうか。



「合理的・目的的な理由」だけでは伝わらない


基本的に子どもは、大人からすると「余計なこと」ばかりするので、保育園の先生は日常的に「~してください」、「~してはいけません」ということを伝えなければならないことが多い。


私たち大人は、つい「そうすべき理由」、「そうしてはいけない理由」を持ち出して子どもの行動を変えようとしてしまいがちである。「絵本を読むのでイスに座ってください」、「公園の外は危ないので勝手に出てはいけません」……。


だが、そのような合理的・目的的な理由を子どもに伝えてもあまり効果がない。反発心からか、大人にかまってもらえるのをおもしろがってか、かえって「余計なこと」をエスカレートさせることさえある。そうなると、子どもたちの安全で落ち着いた生活を守らなければならない以上、保育者は今度は「叱る」ことをしなければならなくなる。


保育園という、場合によっては子どもが家庭よりも長い時間を過ごすかもしれない生活の場で四六時中、大人の論理による「命令」、「説得」、「禁止」、あるいは「叱責」を子どもに対して行うのがいいことだとは到底思えない。そんな風にして子どもを「いい子」にしたところで、子どもは大人がそうしろというから「いい子」にするだけであって、子どもの主体的に考える力が養われているわけではない。


「あなたにこうしてほしい」という「私の思い」を伝える


私は子どもに、私はあなたにこうしてほしい」という「私の思い」を伝えるようにしている。この「私の思い」を伝える言葉のことを「Iメッセージ」という。たとえば、「(私は)君と一緒に絵本を読みたいから、イスに座ってほしい」とか、「外に出ると車にひかれちゃうかもしれないから出て行かないでね。(私は)君にケガしてほしくないんだ」という伝え方をするのである。これは、「~だからあなたはこうすべきだ」という論法(こちらは「Youメッセージ」という)で「相手の行動」を変えさせることとは違う。


子どもに限った話ではなく、ヒトは、思いを伝えてきている相手の感情を無視することができない。ヒトが他者の力なしでは生命を維持できない無力な状態で生まれてくることや、集団を作って他者とともに暮らす生活をするように進化の過程をたどってきたことを考えれば、あるいはそれは本能とすら呼べるかもしれない。


しかも子どもは、私たち大人が思っているよりもずっと、大人のことが大好きである。子どもと大人の間に信頼関係ができていれば、「私の思い」を伝えるIメッセージは子どもにきちんと届くのだ。子どもは「私の思い」をくんだ行動をしてくれるし、それも子ども自身の主体的な意思でそうするのである。


子どもの行動を変えるために「子どもの大人への好意」を利用しているという批判もありえるかもしれないが、それは必ずしもあたらない。「大好きなこの人がこう言っているからこうしよう」というふうに自らの行動を変えるのは、子どもと大人双方にとって気持ちのいい関係が築けるだけでなく、「こうすべき」「こうしなさい」というメッセージに従って動くよりはるかに子どもの主体性が守られているように思う。


相手を尊重した、主体的なコミュニケーションモデルの提示


信頼関係に基づいて「私の思い」を伝えるということは、子どもを教育するための手段であるにとどまらず、より普遍的に、人と人との円滑なコミュニケーションのモデルを示すことでもある。


「~だからあなたはこうすべきだ」という「あなた」を主語にしたYouメッセージは、話し手の意図に関わらず、「批判」や「叱責」のニュアンスを帯びてしまう。どんなに合理的で正しくても、そのメッセージは受け入れがたいし、負の感情が生まれてしまうだろう。


「私はあなたのことを思っている」という前提の上で、「こうしてほしい」という「私の思い」を伝えるIメッセージに、相手を批判、叱責するニュアンスはない。Iメッセージは、むやみに他人を攻撃するのでも、対立を恐れて言いたいことを我慢するのでもない、中立的で相手のことを尊重したコミュニケーションの技法なのである。


日々子どもたちと過ごす中で、単に子どもの表面上の行動を変えることだけが教育なのではない。私たち大人の子どもとの関わり方自体が、子どもたちにとってのコミュニケーションのモデルとなるのだ。他ならぬ私から、かけがえのないあなたへ、主体的に思いを伝える誠実さを持っていたいと思う。