オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

「横道世之介」を観る――誰もが誰かの横道世之介

長崎県の港町で生まれた横道世之介(よこみちよのすけ)は、大学進学のために状況したばかりの18歳。
嫌味のない図々しさを持ち、頼み事を断りきれないお人好しの世之介は、周囲の人たちを惹きつける。
お嬢様育ちのガールフレンド・与謝野祥子をはじめ、入学式で出会った倉持一平、パーティガールの片瀬千春、女性に興味を持てない同級生の加藤雄介など、
世之介と彼に関わった人たちとは1987年の青春時代を過ごす。

彼のいなくなった16年後、愛しい日々と優しい記憶の数々が鮮やかにそれぞれの心に響きだす---。


横道世之介を観る。超いい映画!


原作者の吉田修一は好きな作家の一人だけど、世之介は未読。原作を読んでいたら、ぜんぜん違う感想を持ったかもしれないけど、ばかばかしくって、笑えて、悲しくって、とにかくいい映画!


人が人を好きになる無条件性を、こんなに上手に、面白く描けるなんて! 超お嬢様の祥子が、世之介を好きになるきっかけや理由はよくわからないのだけれど、それでも祥子が彼を好きになっていくさまは自然で、共感できて、素敵だ。世之介の天性の人の好さゆえ? たぶん、そんな手垢のついた言葉には還元できない。ふとしたしぐさ、言葉遣い、ありきたりなデートで過ごした二人の時間……、言葉にできる属性や条件には収まりきらない、人と人との関係があるように思える。特別な才能や美点が無くても、きっと誰もが、誰かにとっての横道世之介になりうるのだ。


彼と出会ったがゆえに、超お嬢様で働かず家にいたって人生イージーモードの祥子は、自分の人生にと飛び立った。祥子が自分の生に羽ばたいていったことが、世之介との別離につながったのかもしれないけれど、それは決して不幸なことではない。大切な相手と、同じ人生を歩めるとは限らなくって、それはもちろん悲しいことではあるのだけど、人を好きになって、相手にも好きになってもらえた記憶は、きっとその人を一生守り続ける。都庁前の交差点を一緒にあるいた記憶は、その道を通るたびに心を温めるのだろうし、大口を開けてハンバーガーにかぶりつくとき、自覚のあるなしにかかわらず、今はもう会えなくても祥子は世之介とともにある。


世之介は自分の撮影した写真を残している。写真の素敵なところは、撮る人の見ている世界が可視化されるところだ。ともすると、人当たりがよいばかりで、なにも考えずなりゆきで祥子と付き合っているようにも見える世之介が(実際そうなのかもしれないけど)、何を見て、何に心動かされてきたのか。彼がいなくなった後にも、写真として彼の見ていた世界は残される。たとえひと時であるにせよ、誰かの世界の中に住まうことができた、という事実を写真のなかに見出したとき、きっとその人の心は温められる。たとえ別れた後でも、愛し愛された記憶は、その人の人生を照らし続けるのだ。