逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!
「逃げるは恥だが役に立つ」の正月スペシャルの録画を見る。
ゆりちゃんと高校の同級生のエピソードが心に沁みた……。
ちょうど仕事でも、人と人との関係は常に互恵的である、というようなことを書いたのだけど、好きな人に、好きだよと伝えることは、その思いが社会的に認知されるような関係性に至ることがなくとも、お互いに救いをもたらす。
頼る方も、頼られる方も、多くのものを得ているし、誰かと心が通じ合ったという経験は、末永くその人の人生を照らし続けるのだと思う。
平匡さんがが「つらい」とみくりさんに言うことができたシーンもすごくよかった!
昨日観た「ママをやめてもいいですか!?」について、ママもパパも、「親」という役割に過剰適応しようとしすぎている、なんて意味あいのことを書いたにも関わらず、自分自身が育休を取った時のことを考えると、やっぱり、とっても気負っていた。
チームリーダーという役割でありながら、2か月弱の育休を取ることに非常にプレッシャーを感じていた。どのようにか仕事の見通しはつけて休みに入らなければならない中で、妻の体調のことを気にかけるのは、今思うととても落ち着かなくて消耗していた(結果として僕は完璧に引継ぎをしたと思っているし、チームのメンバーも僕が不在の間もしっかりと切り盛りしてくれていた)。「父」という役割に過剰適応していたのだと思う。
そんなふうにプレッシャーを感じていたにも関わらず、誰かに(妻も含め)弱音を吐いたことはなかったように思う。なぜって、僕は父親になるのだから!……やっぱり、「親」という役割の鎧は結構重い。
父も、母も、つらいときはつらいと言える、そんなあったかな人間関係が許される文化を作っていきたい。
ちなみに、逃げ恥に背中を押されるより前に、「とても寂しい、寄る辺ない気持ちである」というようなことを、さめざめと妻に話した。年末年始休暇で僕が家にいるタイミングで、息子が卒乳したので、夫婦二人で久しぶりにお酒を飲んで、ゆっくり話していたら、なんだか普段言えないような気持があふれてきてしまったのだ。たぶん、毎日、自分が思っているより頑張っていて、誰かに気持ちを聞いてほしいのだと思う。その「誰か」が、妻でならなければならない理由はなくて(妻だって余裕はない)、リモートで話を聞いてくれる友だちや、(時節を見ながら)飲みに行って気兼ねなく話せる仲間がいることで、ずいぶん救われているのだろう。
「父として」というわけではなくて、僕は仕事が好きだからがんばるし、妻や子にとっていいことをしたいから家事をする。それでも、つらくなったら、どんどん自分の気持ちを、いろいろな鎧を脱ぎ捨てて聞いてもらえるようにしたい。(男性ジェンダーにそれって難しいのだけど、意識的に実践するとけっこう生きるのが楽になる気がしている)