子どもと短歌、俳句をやることにする
子どもと短歌、俳句をやることにする。
僕は短歌が好きで、一時期、読むだけでなく、自分でも作っていたことがある。
たいした歌を作っていたわけではないのだけれど、それでも、短歌を詠むことによって、自分自身の思いが三十一文字の中に結晶されるのが、とても楽しかった。
日本語の韻律に根差した5・7・5・7・7というリズムは、散文とは違った不思議な力を持ち、美しさを生む。
三十一文字の音数に言葉をととのえれば成立するというこの定型詩ならば、子どもが言葉の楽しさを感じたり、子ども自身が作品を作ることもできるのではないか。
2018年施行の「保育所保育指針」の言葉の保育内容の項には、次のようにある。
子どもが生活の中で、言葉の響きやリズム、新しい言葉や表現などに触れ、これらを使う楽しさを味わえるようにすること。その際、絵本や物語に親しんだり、言葉遊びなどをしたりすることを通して、言葉が豊かになるようにすること
短歌、でかした! 保育で求められることに応えるにはうってつけの言語活動になるんじゃないか。
どうやって子どもと短歌・俳句をする?
短歌――短歌が難しいのならば俳句――をやることにする、と決めたものの、じゃあどうやって幼児が親しめるようにするのか。
年長(5歳児)の子どもたちを集めて、短歌・俳句についての講義したうえで5・7・5・7・7のマス目がかかれたプリントを渡して歌を詠ませるか。
もちろん、そんなことはしない。そんなやりかたで、幼児に言葉の楽しさを伝えられるほどハイパーなスキルを持った保育士はなかなかいないと思う。
短歌・俳句で何か活動をするのならば、平均的な発達を考えると対象は5歳児になるのだろうけれど、5歳でも難しい子には難しいだろう。
でも、4歳でも3歳でも、言葉の感覚が鋭い子はいるので、その子ども達には魅力的な活動になりうる。
3歳児の中でも、暗唱して言葉のリズムを楽しむ子は出てくるだろう。
どの年齢の子を対象にしたって、短歌・俳句の楽しさを、その年齢の子を集めて行うぽっとと出の活動で伝えるのは難しいだろう。
そもそも保育は、子どもが保育士から教わるということは目的としていなくって、「子どもが生活の中で」周りの環境から、子ども自身が遊びを通して様々なことを学ぶ営みだ。
とすると、保育士である僕にできることは、短歌・俳句に日常的に親しめる環境を作ることだ。
具体的にやっていきたいこと
短歌・俳句に日常的に親しむ、といっても、一朝一夕でできるものでは決してないと思っていて、それには、地味なうえに結果が見えづらく、労力だけはかかることをやり続けなければならないだろう。
ぱっと思いつくことは、「こんしゅうの5・7・5」*1という掲示物を作って、保育室に展示することだ。
今の時期だったら、
「かきくえば かねがなるなり ほうりゅうじ まさおかしき」
とか僕が書いて、それらしいイラストをつけておく。
「どういう意味?」などと興味を持った子には、覚えてみたら?などと促してみる。
ひたすらこの繰り返し。
他には、子ども向けの絵本や漫画(主に小学生向けなのかもしれないが、興味がある子は4・5歳でも読みこなす)、絵カードなども出ているようなので、保育室においてみたいと思う。
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もしかしたら、ぜんぜん興味を示す子なんかいないかもしれなくって、僕の趣味を職場に持ち込む独りよがりになってしまうのかもしれないけれど、工夫することに長けた僕のチームの同僚たちも、きっといいアドバイスをくれると思うから、とりあえず、やってみようと思う。
*1:「今日の」とは言わず、「今週」というところが自分のキャパシティの限界を物語っている。