オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

【レビュー】ニコルソン・ベイカー『中二階』――横道に逸れ続けることで現れる美しさ

今月の目標は「たくさん感じて、たくさん反応する」です、オランウータン日誌です、こんにちは。


歩いていて、通勤していて、本を読んでいて、僕たちはいろいろなモノや出来事にふれて、さまざまなこと感じながら生活している。


感じたさまざまなことたちを、わざわざ記憶しておくようなこともなく、日々は流れるように過ぎ去ってていく。


だけど、何について、どんなことを感じているかは、人によって千差万別で、生活の中のこまごましたことたちには、きっとその人なりの個性が宿る。


ニコルソン・ベイカーの小説『中二階』は生活のなかのありふれたものごとを超詳細に描いている。描かれているのはありふれているはずの生活なのに、詳細すぎて笑えるしありふれたことを不思議に美しいとすら思わせる、魅力的な小説だ。


中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

あらゆるモノに立ち止まって目を向ける


『中二階』は、若いサラリーマンが、自分のオフィスへつながるエスカレーターに一歩踏み出したところから始まって、エスカレーターを降りるところで終わる。


その間、およそ数十秒。


その数十秒で、彼はさまざまなことを感じている。


靴ひもはなぜ左右ほとんど同時期に切れるのか、切れた靴紐の替えを買いに行った先でついでにった牛乳から幼少期を連想、そういえばいつ牛乳はビン詰めから紙パックになったんだろう、技術の進化について、エスカレーターの構造、いや、美しさについて……


――エスカレーターに乗って中二階のオフィスに行った。


ふつうの言葉で書くと、一行で終わってしまうような時間を、誰もが気にもとめず通り過ぎ行くようなこまごまとしたことたちを、彼はいちいち立ち止まってすくいとり、書きつづる。


それも本文と肩を並べるほどの分量の、膨大な注釈を付けて!

横道に逸れ続けることで現れる美しさ


こまごまとしたモノたちにまつわる、脱線に脱線を重ねていくこの小説は、だからといって冗長ではないし、僕たちの生活の核心のようなものを、美しくすくいとって描いている。


無意識に通り過ぎていくことを、真っ白な背景においてみること――そうすることで浮かび上がってくるのは、モノそのものの美しさと、そして、こまごましたモノたちにまつわる僕たちの生活の記憶だ。その記憶は、まったく個人的で必ずしも劇的なものではないのかもしれないが、確かな存在感をもって胸に迫る。

まず、中二階に通じるエスカレーターを、心の中の染み一つない背景の上に置き、純粋に美しい、一人の大人が考えるに値するものとして眺めること。そして、たとえエスカレーターに乗る際の喜びが、かなりのパーセンテージで子供時代のエスカレーターの思い出とつながっているにしても、それを語るのに、あたかもこの偉大な装置に感動することができるのは子供だけであるかのような、あのセンチメンタルな口調には決してならないこと。


以上、オランウータン日誌がお送りしました。


中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)


余談ですが、多くのことを感じて、そのいちいちを素通りせず、立ち止まって考えてみる、考えるだけじゃなく書くという形で反応してみる――「たくさん感じて、たくさん反応する」とはそういうことです。