オランウータン日誌

保育士をしています。本と落語と自転車が好きです。

ラジオはちょうどいい距離感で情報とつきあえる

世間のトレンドに遅れまいと、常にアンテナは感度最高ビンビンにしているオランウータン日誌です、こんにちは。とはいえ情報源はラジオと新聞という古風な手段なんだけど……。


先の震災後、災害時に役に立つ、というようなことで注目を集めていたラジオ。僕はそれ以前からラジオの愛聴家で、普段使いの情報源としてラジオは優れていると思ってる。


さらっと聞き流すことも、必要な情報に耳を傾けることも、楽しい音楽で元気になることもできる等々……オランウータン日誌的ラジオ愛を語りたいと思う。


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情報の取捨選択が自然にできる


ラジオの最大の魅力は、放送される内容を、聞き入ってもいいし、聞き流してもいいというところだと思う。


新聞やインターネットだと、どうしても自分が見たい情報だけを見てしまって、自分の見識が現在の自分の趣味嗜好だけで完結してしまいがちだ。「読む」というのははっきりと意志的な行為で、自分の見たいもの、知りたいものの情報を得るには適しているけど、こぼれ落ちてしまうものも多い気がする。


じゃあテレビだと種種雑多な情報が入ってくるじゃないか、というと確かにその通りなんだけど、いかんせん映像だと自分の注意がぜんぶそっちにもっていかれてしまう。「目が奪われる」なんて言葉があるように、視覚情報は刺激が強すぎて、何かしながら情報を得ることができないし、その情報に対する自分の思考やツッコミをさしはさむ余地がないように思う。


そこでラジオだ。


ラジオは、好む好まざるとに関わらずいろんな種類の情報を流してくれるので、自分の知りたいことだけで見識が完結する、ということが回避できる。しかも、聴覚情報は便利なもので、「聞き流す*1」ことだって容易だ。もし自分の興味のあることがらや、詳しく知りたいキーワードが耳に入ってきたら、そこからは耳を傾けて「聞き入る」ようにすれば、そこそこ詳しい情報も得られる。ラジオは情報との距離感がとりやすくって、とても使いやすいメディアなのだ。

何かしながら、に最適


「聞き流す」ことも「聞き入る」こともできる、というラジオの性格からすると、たとえば朝の忙しい時間なんかにはちょうどいい。


新聞を読みながら、朝ごはんを作りながら、出かける支度をしながら、ラジオをかけっぱなしにして気楽に情報収集ができる。食事中にかけていても、会話の妨げにはならないし、時には面白い話のタネを提供してくれることもある。

季節感ある音楽や、パーソナリティに元気をもらえる


なんだか、安いファッション誌みたいな言い方になっちゃうんだけど、ラジオから流れてくる音楽や、楽しそうに話すラジオパーソナリティの声を聴いていると、けだるい朝でも元気になれる(気がする)。


あーまだ寝てたい……なんだか今日は気分が上がらない……。そんな気分の時にも、あさイチからハイテンションで語りかけてくるラジオパーソナリティ(僕がよく聞くラジオ局風にいうとナヴィゲイターだけど)が電波の向こうにいると思うと、少し気分が引き締まる。


手持ちぶさたに過ごしている時間に、ラジオから流れてくる音楽に季節を感じる。あるいは、その曲を聴いていたころの気持ちがよみがえることもある。初めて聞く曲に心を動かされた時には、オンエア曲をネットで調べることができて、自分の世界が広がっていく。

ちょうどいい距離感でつきあえるいいやつ


ラジオ愛、というと大げさな感じがしてしまうかもしれないくって、「一言一句逃さず聞かなきゃ!」とか、「このプログラムは絶対聞き逃せない!」みたいな、どっぷりとした聞き方はラジオにはふさわしくない気がする。



聞きたいときは聞けばいいし、聞きたくないときは聞き流せばいい、でも、スイッチを入れればけっこう楽しい気持ちにさせてくれる。ちょうどいい距離感でそこにいて、声を届けてくれるラジオ、つきあってみるとわりといいやつだと思ってる。


以上、オランウータン日誌がお届けしました。



トランジスタ・ラジオ / RCサクセション / 忌野清志郎 - YouTube

*1:視覚情報にも「見過ごす」や「見逃す」といった似たような言葉があるが、見えているものを意識的にあえて見ないようにする、というニュアンスが強くなる